2009年11月18日水曜日

日本沈没―日本はこのままで大丈夫か・・・?

このブログを始める気になったのは、京大の講義でのある出来事が理由である。

私は今日「経済英語」という講義に出席した。
この講義は、経済学の最先端の知識が掲載されている英文雑誌を参加学生で輪読し、そのうえで翻訳をおこなうというものだ。
その授業は難易度が結構高いのであまり人気がなく、20人ほどしか出席していないのだが、その中には韓国や中国の留学生が多いのだ。
約3分の1ほどがアジア系留学生である。

授業の進行方法は、前もって指名されていた学生が担当部分の日本語訳を発表し、教授がそれに対してレビューを加えるというものだが、いかんせん日本人の発表内容がひどいのである。
ある日本人はこういった。
ここの「先生!ここの By on measure がどういう意味かわかりません。」と。
もちろん彼には一週間という膨大な時間が、予習する時間として与えられていた。
にも関わらず、彼は平然と「わかりません」と言ってのけたのである。

日本人の偏差値教育が批判されている。
しかし政府の教育再生方針も全く的を射ていないものばかりである。
ゆとり教育が批判され、かつての日本が発展し続けてきた時代の教育に回帰しようという流れがある。
「かつての」日本にとっては成功に思えた教育方針も、今の時代には全く適していない。
製造業を中心に発展を続けていた日本にとっては「均質人間」「ロボット人間」「偏差値人間」を生み出すことは理に適っていたかもしれない。
しかし今の世界の状況はかつてとは違う。
韓国や中国、インドが発展する中で、日本のように人口の少ない国はその人材の特異性で勝負していくしかないのである。
均質人間ばかりでは中国のような人口の多い国に勝てるはずもない。

偏差値至上主義の教育、詰め込み教育を受けてきた日本人学生は「わからない」ことは答えを教えてもらえばよいと考えている。
答えを求めるまでの思考の過程を重要視しない。
彼らは、先生に聞けば「答え」が与えられると思っている。
それは彼らにいくら膨大な時間がその答えを求めるために与えられていたとしてもだ。
彼らは恐らく予習をする時間があと1か月あったとしても、授業の場で先生に「わかりません。教えてください」と言うであろう。

一方、アジア系の留学生は全く違う。
彼らは完ぺきと言っていいほどまでの訳を発表する。しかも彼らの訳を聞いていると思うのだが、我々偏差値至上主義教育を受けてきた学生とは質的に異なる訳をすることが多い。
それはどういう意味かと言うと、典型的な高偏差値日本人の訳はガチガチの日本語で、英文の本質をとらえていないものが多いのだが、彼ら留学生の訳は英文の本質をとらえ、咀嚼し、そのうえで彼らにとっての第三外国語である日本語に置き換えるという荒業を何のことなくやってのけるのである。
ここで断わっておくが、彼らアジア系留学生は、英語を自国の言語に一度翻訳し、そのうえで第三外国語である日本語に翻訳しなおしているのである。
我々日本人学生は第二外国語である英語を自国語である日本語に訳すのでさえガチガチの日本語になってしまうのに対し、彼らは全くレベルが違う。
いま欧米でアジア系留学生と言うと、韓国、中国、シンガポールなどの留学生のことを指すという話もある。

このままでは日本は世界においていかれる。
我々若者が本気で国家の危機を危惧し、それを克服するために闘わなければ、日本は間違いなく沈没してしまうだろう。
私が一人でできることは高が知れている。
しかしこういった危機感を感じ、動き始める人が一人、また一人と増えていけばまだ間に合うかもしれない。
豊かな国日本を、こぢんまりとおさまった島国にしないために、今、行動を始めよう。
日本の学生のどれだけの人が共感してくれるかわからないが、私はここから国を憂う思いを発信し続けようと思う。

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