2009年11月21日土曜日

情報無価値時代を生きる

ITやインターネット技術がここ10年ほどで急速に発達し、これまでは手の届かなかった情報がいとも簡単に手に入るようになった。
キーボードを数回叩いてエンターキーを押すだけで、かつては多くのコストをかけることでやっと手に入れることができたような情報を、家に居ながらにして手に入れることができるようになった。

この変化はインターネット回線というインフラの発達に起因するところもあるが、最も大きな要因は検索技術の進歩である。
その立役者となったのはGoogleである。
「もし世界政府というものがあったとしたら、その世界政府がやらなければならないことは全部自分たちでやってしまおう」
それが彼らの掲げる企業理念である。

Googleは世の中に存在する全ての情報、デジタルもアナログも含めた全ての情報を一つのデータベース上に集約し、全ての人が利用できるようにすると宣言している。
テキスト情報・動画情報・地図情報・書籍情報・会社情報・ドキュメント情報・音声情報・個人情報・遺伝子情報など、挙げ始めたらきりがないが、これらの情報全てを集めるのがGoogleの使命だと、シュミットCEOは言っている。

ではもしそういったことが、完全ではないにせよ部分的に実現したとすると、一体どういったことが起きるか。
情報はネットワーク上で誰もが対等に入手できるようになるので、「自分だけが」 「彼だけが」 「あの教授だけが」 「先生だけが」持っている知識というものがこの社会からほとんど消えてしまうことになる。
これまでの知識人の定義とは、「みんなが知らないことを知っている人」であったが、そういった知識偏重型の人間は、Googleによって無価値化されてしまうことになる。

となると、これまでのような「知っている知らないか」を重視する詰め込み教育はその存在意義を問われることになる。
また、そういった知識偏重型教育を受けてきたほぼ全ての日本人は、その価値観の大幅な転換を迫られることになる。
これからの社会に求められるのは、溢れる情報を独自の価値観という尺度をもって判断・取捨選択し、加工し、活用する能力である。
それができなければ、いくら偏差値が高かろうと「その他大勢」で終わってしまうことは目に見えている。

無価値化した情報を如何にして価値ある情報に昇華させるか。
それがこの情報無価値時代を生きる上での一つの指針になる。

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