2009年11月22日日曜日

学力低下問題の虚実

若者の学力低下が叫ばれている。

新聞、テレビ、雑誌などの様々なメディアによって、ゆとり教育をその原因とする学力低下問題が報道され、その頻度があまりにも多いので、我々国民は「学力低下」問題を既成事実として受け入れ、その本当の原因が何か、そして実情は何かについて、深く考えることはなかった。
マスコミの報道によって、いわゆる思考停止状態に陥っているのである。
しかし、学力低下問題は本当に起こっているのか。
そしてもし起こっているのならば、その原因、真相は何か。
学力低下問題について考え直すのは、今が最後のチャンスである。
なぜならば、この学力低下問題が報道されている通りそのまま真実であるとするならば、日本の将来は真っ暗であり、今がその真っ暗な将来にかすかな光を照らす最後のチャンスであるからである。

大学教授などの多くの教育従事者が、「最近の若者の学力は低下している」 「こんなことも分からない学生がいるのか」 「ゆとり教育のせいで学生はバカになった」などと、悲鳴を上げている。
その人数たるやあまりにも膨大な数なので、少なくとも現場の教育者である彼らの 「主観的」 判断においては学力低下問題は起こっているようである。
重要なのは、その主観的判断の裏に隠れた本質であり、「客観的」 事実としての学力低下問題とはどういったものなのか、考えてみる必要がある。

『学力低下は錯覚である』の著者、神永氏は、以下のような例を使って学力低下問題の本質を浮き彫りにしてくれた。

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もし今仮に、日本人の大学受験生が15人(15人の学力は、上から5分の1ずつ、つまり3人ずつの同学力のグループ5つに分けられる)しかおらず、大学はA大学、B大学、C大学の3つ(各大学の定員は3人ずつで、学力はA大学が最も高く、続いてB、C大学とする)しかなかったとしよう。
では今この状況で入学試験が行われたらどのような結果になるか。
試験でどんでん返しが起こらないとすると、最も賢い3人がA大学に合格し、次の3人がB大学、次の3人がC大学に合格することになる。

では続いて、少子化によってこの15人の大学受験生が10人に減った場合、どういったことが起こるのか。
ここで、受験生の学力の分布は先ほどの場合と同じ(上から5分の1ずつ、つまり2人ずつの同学力のグループ5つに分けられる)であり、大学の定員も変わらずに3人ずつであるとする。
この状況で入学試験が行われたらどのような結果になるか。
最も賢いグループに属する2人がA大学に合格し、更に最も賢いグループよりも学力の劣る2番目のグループの学生のうちの1人がA大学に合格することになるのである。
そしてB大学については、2番目に賢いグループの1人と、3番目に賢いグループの2人が入学することになる。
C大学についても同様のことが起こる。

学力低下の問題とは、客観的な数字で考えると、こういうことである。
つまり、これまでと高校生の学力レベルが全く変わらなかったとしても、大学の入学定員を減らさなければ、大学志願者数が減るごとにどの大学においても学生の学力は下がる。
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これが学力低下問題の現実である。
しかし私は正直なところ、実際に学生の学力が低下しているかどうかということはさほど問題ではないような気がする。
というのも、大学で学ぶいわゆる高等な学問というものは、実際の社会に出て活かせる機会というものは一部の専門家などの場合を除いてほとんど無いからである。
では何が問題なのか。
それは、今の学生の多くが「ゆとり教育」を隠れ蓑にして自分の学力の低さを肯定すること、自分の至らなさの責任をゆとり教育に責任転嫁しているということである。

神永氏は、自身が数学を教える大学において起こったある体験を綴っている。

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私はある学生があまりにも初歩的なことを理解していなかったので、落胆して「こんなことも分からないのか・・・」とつぶやいてしまった。
その瞬間、私は言ってはいけないことを言ってしまったと思い、その学生を傷つけてしまったのではないかと正直焦った。
すると、その近くにいた学生がこう言った。
「俺たち、ゆとられちゃってますから。」
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これが一連の学力低下問題において最も由々しき問題であり、日本の将来を真っ暗にする最大の原因になり得る。
自分の至らなさの原因は全て自分にあるのであり、全て自己責任で片づけるくらいの気概がなければこれからの困難な社会は生き抜いていけるはずがない。
これからの日本は、これまでの日本とは違うのである。
これまでの日本は成長してきたので、例え自分が頼りなくても国全体が成長していることの恩恵を授かれたかもしれない。
しかしこれからの日本は間違いなく中国やインド、ブラジル、韓国、シンガポール、ベトナムなどの新興国と競争していくことになる。
グローバル化した時代には国境がなく、「個」としての国家の性格は薄らいでいく。
そういった中、頼りになるのは「個人」としての「個」である。

学力低下問題が浮き彫りにしてくれたのは、若者の客観的数値としての学力低下ではなく、自分の問題を自分の問題として捉えられない若者の責任感の喪失であった。

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